2017/11/06

1985年の自転車ツーリング

R4バイパス沿いにある、日産栃木工場。



2日目は、栃木県真岡市に当時住んでいた姉夫婦の家へ泊らせもらいました。


3日目に本庄まで帰ったのですが、途中、館林市の祖母宅へ泊まったかそのまま帰ってきたか覚えてません。

走行距離は、ご想像にお任せします。

今度は、組み立てます。

輪行仕様の自転車なので、15分くらいでやれたと思います。


同行者がいるかのようなこの写真も、セルフタイマーで撮ってます。

あの頃自転車に凝っており、アルバイトしてブリジストン・ユーラシアツーリングを購入。

自転車雑誌を愛読し、当時流行り?の「峠攻め」と「輪行」を実行したものと思われます。

コースは図のとおりです。

当時住んでいた埼玉県本庄市をスタートし、国鉄足尾線の上神梅駅から足尾まで輪行し、柏尾峠を攻め、祖父母宅の館林市で1泊。
2日目は、国道4号線を北上し、当時、姉が住んでいた栃木県真岡市で1泊させてもらい本庄まで帰って来ました。

上の写真は、伊勢崎から大間々の間あたりで、雪の残る赤城山をバックに撮ったと思います。

情報は、地図だけ。 スマホは持ってません!

ジモティーに2、3回道を聞いたかな?  天気にも恵まれました。  

結構けわしい峠のようですね。

この日の写真はこれで終わり。


足尾から、柏尾峠、更に大越路峠を通り、栃木市へ抜け、
葛生町、田沼町、佐野市を通り、暗くなって館林市の祖父母宅へ着きました。

たしか、夜間走行をしてみたく、わざと暗くなるようにプランした覚えがあります。でも。。知らない場所で暗くなると、方向感覚が無くなり少し怖かった事も覚えてます。

 1日目
 2日目
 3日目


この写真の撮影は、2日目か3日目か分かりませんね。

鬼怒川自転車道と書いてあります。
広い道以外にも適当にこういった道を通っていったと思われます。


いや〜、当時はホント体力があったね〜。どこまでも疲れ知らずで走り続けられたのですね。しかも結構な速いペースだったと思います。

当時、あと流行ってたのが「野宿」。荷物が積めない自転車は、キャンプではなく寝袋だけの「野宿」がステータスでした。さすがにそれは実行できず身内泊でのツーリングとなりました。

それにしても若けーねー、オレ!

どのあたりで撮ったんでしょうか。

写ってる車が古い! 初代チェイサー?

2日目は、館林市から、東へ進路をとり板倉、小山からR4バイパスへ出て北上した。。と思います。



この写真は、路肩のポールに、カメラを縛ってセルフで撮りました。

シャッター押して、慌てて自転車に乗り、離れて、引き返し。。
カシャ!

いよいよ、柏尾峠攻め!

ここで覚えてるのは、峠を登ろうとした時、出たばっかの新車の白のソアラが峠から下りてきて停まり、若者2人が乗っていて話かけられました。
「え、この峠登るの? かなりキツイよ!!」

でもこの峠を攻めに来てるので、私は「はい!、これから登ります!」と言って登り始めました。

それから全く車とすれ違ってないと思います。すごい山奥!

ひたすら長い長いキツイ峠を孤独に登って行きました。

今じゃ考えられない体力でしたね。

良く見ると残雪が写ってます。

足尾駅へ到着。

こんな感じに自転車を分解して畳みます。

これも、セルフで撮りました。ホント誰も居なかったんだろね。


当時は、自転車を持って電車へ乗る場合「手回り切符」の割増しが必要でした。(今は廃止)

じゃ、無人駅は?
⇒電車が止まると、車掌が降りてきて、一人づつ出札や清算します。
 それが完了してから出発。

ここで自転車をバラして電車に乗ります。いわゆる「輪行」

無人駅。誰もいない?

セルフタイマーで撮ったと思います。

朝本庄を出発し、伊勢崎、大間々を通って、
国鉄 足尾線 上神梅(かみかんばい)駅へ到着。

何時に出発して、ここに何時に着いたか分かりません。

ここへ来るまでにも何かとドラマがあったと思いますが、覚えてません。

先日、
ある古い写真を探していた所、懐かしいこの写真が出てきました。

群馬・栃木 自転車 輪行ソロツーリング!

メモには1985年4月 とだけ書いてありました。

かすかに残っている記憶を辿りながら見ていきましょう。